2016年2月5日金曜日

要約

 感情は、しばしば合理的思考や理性的行動を妨害する要因となり、目的遂行のためには有害なものとされやすい。
 しかし、感情は人間の環境への働きかけを動機づけたり、危険を回避する行動を瞬時に指令したりするという、人間の生存にとって極めて重要な役割を担っている。
 それだけはなく、感情は人間の合理的で適応的な思考や行動に強く影響を及ぼしており、人間の生物学的生存と社会的生存を支える、生存戦略のメカニズムとして機能しているのである。

 こうした生存戦略のメカニズムを持つ感情は、環境との相互作用による自然選択の生物進化のプロセスで形成された。
 動物との共通性を有する、喜び、悲しみ、怒り、恐怖などの基本情動から始まり、人類が集団生活を営むようになると、複雑化した社会関係に適応するために道徳的怒り、罪悪感、同情、共感など様々な複合的な感情も生まれていった。

 感情は刺激に対する評価的反応と考えられるが、感情を生み出す脳の部位は大脳辺縁系にある扁桃体である。
 扁桃体は刺激を検出し、生体にとって良いものか悪いものかを評価して生理的反応を指令する情動反応を起動させる。ただし、扁桃体は反応が速い反面、情動刺激の検出が粗雑であるため、環境への不適応を起こすことがある。
 そこで大脳皮質を発達させた人間は、皮質からの扁桃体の制御により環境に適応的な状況を作り出すが、扁桃体からの指令の方が強いので適切に制御できない場合もある。

 感情の進化は、生物進化のプロセスで人類の脳の発達と連動して、ホミニゼーション(ヒト化)を促した。爬虫類脳、哺乳類脳、新哺乳類脳への進化に伴って、生存戦略のメカニズムを発展させていったのである。
 しかし、本来個々の感情は野生環境への合理的な適応プログラムとして進化してきたため、文明環境の急激な発展にその進化が追いつかず、非適合的な部分が生じているとされる。
 それが現代人にとって感情が有害に感じる部分であると考えられる。

 こうした感情の働きを見てみると、多くが非意識過程で処理されており、意識的に自覚できる部分は主観的な感情経験のみである。
 認知プロセスについても同じことが言え、意識下で情動系と認知系が密接に絡んで、感情の影響を自動的に受けている。
 特に曖昧な状況下ではヒューリスティクス(直観・経験則)を使って情報を処理し、大抵は適応的な判断を行っているのである。ただしヒューリスティクスや潜在認知は知らずのうちにバイアスがかかりやすいので、その点は注意が必要である。

 このように感情は生存戦略のメカニズムとして機能することで、想像以上に私たちの思考と行動に大きな影響を及ぼしていると考えられる。



キーワード: 生存戦略のメカニズム、基本情動,扁桃体,感情の進化,ヒューリスティクス





はじめに(序論)

 私たちは普段さまざまな感情経験をしているが、現代人にとって感情は、目的遂行の妨げとなったり、抑制できなくて失敗に繋がったりと、どちらかと言えばネガティブなイメージを持たれやすいのではないだろうか。
 
 しかし、感情を機能面でみると、感情が人間の行動や生活に対して妨害的に作用していると考える立場の感情有害説と、感情が人間の行動や生活に役立っていると考える立場の感情有用説があり、今日では後者の立場が優勢になっている1)という。

 私自身は、本稿の「人間の思考と行動における感情の作用」をテーマとした当初の段階では、感情が有害であることを念頭に置いていた。
 それは、日常的にインターネットを活用する中で、様々なレベルでの発信や議論での過剰な感情表出や、短絡的な原因帰属による決めつけ、根拠の希薄な主観的な主張などを目にする機会が増大したことによる。
 感情の介入による論理的思考や理性的行動への悪影響が、問題解決の弊害になると考えていたのである。
 そして、その弊害を取り除くために如何に感情を適切にコントロールするか、どのようにクリティカルな思考力を身につけるかを問題意識として文献学習を始めることになった。

 実際に、感情に起因する人間関係や社会生活上のトラブルは少なくないと思われる。
 ヒューリスティクスによるミスが、日常的な些細な事から重大事案に至る損失に繋がることもある。
 また、感情を抑制できずに凶悪犯罪や紛争など暴力に発展する事例が日々国内外のニュースで伝えられてくる。
 そして、感情の障害による精神病理や、誰もが経験する不安感情、抑うつ気分など、物事がうまく行かなくなったり、社会に適応できなくなったりといった、感情が有害に作用するケースがまず思い浮かんでくるのである。

 しかしながら、そうした弊害をもたらす感情の機能やメカニズムを調べ始めると、妨害因と思われていた感情がむしろ人間の環境への適応において必要不可欠であり、動機づけや自己保存にとって重要な役割を果たしていることが分かってきた。
 また、非合理的とされる感情が認知プロセスに作用することで、人間は合理的に判断して支障なく生活が送られると考えられている。

 こうした感情の働きを捉え、感情有用説は、「感情が生物学的生存または社会的生存に関係するさまざまな課題を解決し、個人の生存と集団生活の維持・促進に役立っている」2)と仮定している。

 この感情有用説は、脳神経科学や感情の進化論など近年の感情研究の成果が背景となっている。
 例えば、神経科学分野では、感情を生起する脳の部位の損傷により、本来回避すべき危険なものに近づいたり、将来の予測や決断が困難になったりするという事例を報告しているが、これは感情の機能が人間の自己保存や認知活動と相関することを示すものである。
 また、進化心理学では、喜びや怒りや恐怖といった感情は、長い生物進化の自然選択によって形成された生得的なものであり、人類が生き延びるための生存のメカニズムとして発達したと考える。
 つまり、感情は人間の生物学的生存と社会的生存に関わる課題の解決のために、環境と相互作用しながら進化し、そしてまた人間を人間たらしめる脳を進化させてきたと言えるのである。

 このように感情は生存戦略のメカニズムとして機能することで、想像をはるかに超えて人間の思考と行動に強く影響を及ぼしていると考えられる。
 現代社会に数多く存在する有害と受け止められる感情現象も、単に感情が有害か有用かの二項対立のどちらか一方に還元する議論ではなく、そのメカニズムによる適応への課題解決のプロセス上の現象として捉え直す必要があると思われる。
 今なお進化の途上にある人間の環境への適応能力とその限界を知り、感情を持つ生きた人間の思考と行動を理解することは、現代人が抱える感情に起因する適応上の問題を解決することにも繋がるはずである。

 「感情の理論は、感情を脳神経の構造や機能の還元できるとするものから、感情は社会的・文化的に構成された心的現象であるとするものまで、幅広く提案されている。多数の理論が存在するということは、感情がいかに説明しがたい複雑な現象であるかを物語っており、感情の研究が発展途上であることを意味している。」3)とあるように、感情の研究は様々な研究対象について多くの研究者による異なったレベルと視点によってアプローチされているので、どれか一つの立場からみて感情を理解することは不可能である。
 感情の定義も概念や用語についても研究領域によって統一されておらず、相補的な部分もあるがそれぞれの立場が独立的で、複数の立場から多角的にアプローチすれば直ちに全容が見えてくるというわけではない。

 本稿では、感情を生存戦略のメカニズムと捉える観点に立ち、それが人間の思考と行動にどのように作用しているかを神経科学的基盤と進化史的発達を概観する中で明らかにしていく。
 そして、それが現代人の思考や行動をどのように規定し、適応のあり方に影響を与えているかを考察するものである。以下、感情心理学、神経科学、進化心理学、行動経済学などに関する文献研究により掘り下げていくことにする。





第1章 感情とは何か

1.感情の定義と概念



 『感情心理学・入門』(大平英樹編:有斐閣アルマ,2010年)では、「感情を厳密に定義するのは難しく、心理学において一般に認められた標準的な感情の定義というものは存在しない」と前置きした上で、「人が心的過程の中で行うさまざまな情報処理のうちで、人、物、出来事、環境についてする評価的な反応」(Ortony,Clore,&Collins,1988)という定義を採用している。

 評価とは「対象を、良い―悪い、危険―安全、有用―有害、好き―嫌い、などの軸に位置づけ、認識すること」であり、反応とは「対象による脳や神経、身体器官の作用から、潜在的な行動の準備状態の形成、顕在的な表情や行動の表出、主観的な心的体験まで、広い範囲を含む」とされる。
 そして、「感情とは、自分自身も含めてあらゆる対象について、それが良いものか悪いものかを評価したときに人間に生じる状態の総体」とまとめられている。
 
 また、感情に関する用語の概念や分類、その使い方も研究者の研究領域によって微妙に異なり、各用語が互換的に使用されることも少なくないなどが指摘されている。
 特に、「情動(emotion)と感情(affection)は概念的に区別されることなく、日本の心理学書では両者が曖昧に併用されてきた」4)

 例えばそれは、『感情』(ディラン・エヴァンズ 遠藤利彦訳・監修:原題『Emotion』.岩波書店,2005年)では、本文中は全て「情動」という用語を使用して議論しているが、表題について「やや専門的なニュアンスのある“情動”という術語ではなく、あえて一般的な“感情”という言葉を用いた」とするように訳者が配慮する場合もある。
 このような「emotion」を「感情」に読み替えて使用する例は多く、一般に出回っている解説書はそれが慣例になっているようである。

 しかし、情動(emotion)は、「原因が明らかで、始まりと終わりがはっきりしており、しばしば生理的覚醒(physiological arousal)を伴うような強い感情」(『感情心理学・入門』前掲書)と定義されており、背景的な弱い感情状態である気分(mood)などと共に、広義の感情(affect)に総称される概念として扱われている。
 また、神経科学では喜び(歓喜)、悲しみ(悲痛)などの生理的反応を伴う情動(emotion)の意識的知覚が感情(feeling)とされるので、「emotion」は感情と矛盾する概念ではないのである。

 本稿では基本的に情動を表す「emotion」は「情動」とするが、情動に対し感情の用語を使用する文献の引用部分に関してのみそのまま「感情」使用する。また、本文中使用する感情(affect)は、情動(emotion)、気分(mood)、主観的感情(feeling)など、あらゆる反応や状態を指すものとして厳格に区別していない。

 以上、こうした人間の精神活動全般に関わる感情を、網羅的に捉えて定義することの難しさを踏まえて、「感情とは刺激に対する評価的反応である」と最低限押さえておくことにする。





2.基本情動basic emotion


 基本情動とは、怒り、恐れ、悲しみ、喜びなど、進化のプロセスで自然選択によって生得的にプログラミングされた情動であり、ヒトの生存戦略のメカニズムとして重要な働きをしている。
 基本情動の数は研究者によって異なるが、その理論的根拠の出発点をダーウィン進化論に置く。
 
 ダーウィンは著書『人間と動物における情動の表出』において、「人間と下等動物が示す主要な表現は生得的ないし遺伝的である、つまり個が学習したものではない」ことを唱えた5)
 そして、ダーウィンが指摘する情動の生起と随伴する様々な生理的反応がヒトと動物に共通であるとする立場は、情動の中枢起源説に受け継がれ6)、ルバン・トムキンス(Sylvan Tomkins)を経て、ポール・エクマン(Paul Ekman)、キャロル・イザード(Carroll Izard)らの研究に繋がる。

 基本情動を喜び、恐怖、驚き、怒り、嫌悪、悲しみの6つと考えるエクマンは、表情を表出した写真を様々な国の人たちに見せることで、情動を表す表情は通文化的にその理解の共通性があることを示した。
 エクマンは、「顔の表情形態と自律神経系および中枢神経系の反応様式との間で一定の関係があるという実験結果を示し、感情は基本的な生存課題を処理するために進化してきたものであり、それぞれの感情の顔の表情と生理学的反応様式の関係は遺伝子に組み込まれ、適応上の課題解決に対して即効性がある反応を実現していると考えた」7)のである。
 
 イザードは自身が開発した表情のコーディングシステムにより、興味・関心、愉快・喜び、驚き・驚愕、悲しみ・失望、怒り、嫌悪、不快・苦痛などの基本情動の表出は、子どもの7~8か月齢のうちに完成し、罪感情、羞恥・恥、軽蔑の3種類は8か月齢以後獲得するとした8)

 また、ジャーク・パンセップ(Jaak Panksepp)は比較神経科学の立場でエクマンと同様の見解を示し、基本的感情にはそれぞれ固有の脳神経回路が存在すること、また人と動物は基本的感情の神経基盤をある程度共有していると指摘している9)

 そして、殆どの基本情動論者は、基本情動をブレンドまたはミックスした結果として生じる非基本的な情動があると考えている。
 イザードは、不安とは恐怖と他の2つの情動(罪悪感、興味、恥辱、怒り、悲痛のうちのどれか)の組み合わさったものとし、ロバート・プルチック(Robert Plutchik)はさらに進んだ情動混成説を唱え、基本色を混ぜると新しい色ができるという色のサークルと類似した情動のサークル(環)を作った10)
(ジョセフ・ルドゥー:エモーショナル・ブレイン.p.138,東京大学出版会,2003年.)

 いずれにせよ、怒りや恐れ、嫌悪や驚きといった情動だけではなく、恥や道徳的怒りなどの複合的感情も、人類の社会的関係を支えるための、言葉以前のコミュニケーション手段として進化したと考えられる11)
 そして、情動や感情が個体間の社会的関係を調整する役割を獲得すると、今度はそれを制御しコントロールする必要が発生12)し、より複雑な感情状態が生じるようになったのである。




3.感情の神経科学的基盤


 神経科学では、感情は情動反応の意識的知覚であるとする。情動反応を誘発する重要な脳の部位は扁桃体である。
 同時に扁桃体によって誘発された情動反応は、環境への適応のために前頭皮質によって適切に制御され調整される。

 以下、感情の生起に直接かかわる情動反応の脳内メカニズムと前頭前野の制御機能を概観してみる。


1)情動と感情
 
 神経科学において情動と感情は明確に区別される。

 『カンデル神経科学』(エリック・R・カンデル他著,金澤一郎他監修:メディカル・サイエンス・インターナショナル,2014年)によると、情動は「脳が何らかの困難な状況を検出した際に、ほぼ無意識的に生じる生理的反応群に対して用いる。これらの自動的な生理的反応は脳と身体の両方で生じる。脳の反応としては、覚醒度と認知機能(例えば注意や記憶の処理、意思決定戦略など)の変化を含む。身体面では内分泌、自律、筋骨格系における反応を含む。」とする。

 感情は「これらの身体的および認知的変化の意識的経験を指して用いる。ある意味で感情は、情動状態によって生成された生理的現象の表現として、われわれの脳が作り上げた報告書といえる。」とし、この2つの状態を常に区別する必要が強調される。

 そして、「情動は脳がポジティブあるいはネガティブな意味をもった刺激を検出した際に誘発される、自動的で大部分が無意識的な行動・認知反応である。感情は情動反応の意識的知覚である。」とまとめられている。

 この情動刺激を検出して情動反応を誘導するのは大脳辺縁系にある扁桃体である。



2)扁桃体
(リタ・カーター:新・脳と心の地形図.p.131,原書房2012年.)

 扁桃体は側頭葉に左右一つずつある小さな器官で、主に基本情動に関わる情動的刺激の検出・出力をする。
 自分にとって対象が危険か有害か、良いか悪いかなどの評価判断をして、行動の準備に必要な生理的反応を指令するという、生物の生存にとって重要な働きを担っている。


(新・脳と心の地形図.p.152)
 「扁桃体は脳の警報装置の役目を果たしていて、脅威にさらされるとき、生き残るうえで役に立つ精神状態を作りだす。扁桃体のある部分を刺激すると、典型的な恐怖反応、つまりパニックになって逃げだしたい感情が生まれる。別の部分を刺激すると、『ふんわりした温かい感じ』になって、なれなれしい行動が見られる(懐柔)。さらに、怒りが噴出する第三の部分もある。逃走、闘争、懐柔という三大生きのこり戦略を引き起こすメカニズムが、小さな組織ひとつにまとまっているのは、戦略間ですばやい切りかえを行うためである。」13)とあるように、危機に際しての扁桃体の役割は極めて重要である。



(エモーショナル・ブレイン.p.195)

 「外界からの刺激に関する情報には、視床から直接扁桃体へ行くもの(低位経路)と視床から皮質を経由して扁桃体へ行くもの(高位経路)がある。直接の視床扁桃体路は、視床から皮質を通って扁桃体へ至る経路に比べて短く、より速く伝達する。しかし、この直接の経路は皮質を経由しないために、皮質の処理の恩恵を受けることができない。この結果、直接の経路では、その刺激の大まかな表現しか扁桃体に伝えることができない。したがって、直接の経路での処理は速いが、粗雑である。直接の経路は、その刺激が何であるかを十分に知る前に、危険を示す刺激に対して反応することができる。これは危険な状況下ではたいへん有用である。しかしこれが利用されるためには、皮質路が直接路の上に載っていることが必要である。直接路が、われわれの理解していない情動反応を調節しているということもある。」14)
 
 情動の制御が常にうまく行くとは限らないのは、もともと脳の回路では大脳辺縁系(情動系)から新皮質(認知系)に上がる情報のほうが逆方向より多く、つまり情動をつかさどる部分の方が、合理的な部分よりも行動への影響が強いからである15) 

(新・脳と心の地形図.p.151)
 

 このことから、意に反する情動反応における自動的な生理的反応を抑止することは極めて難しいと言えるが、やや遅れて前頭皮質が抑制的に働いて状況を適切にコントロールすることは可能である。

 実際に怒りによる身体の反応は臨戦態勢による攻撃の準備であるが、現代社会のコミュニケーションにおいては、それがそのまま表出されることは不適切であると判断されるため、攻撃行動は抑制される場合の方が多い。

 注意すべき点は、扁桃体は非意識過程のうちに情動的刺激を検出して処理するだけなく、無意識下でも評価を伴う心的事象を記憶し、それを蓄積させているということだ。
 
 しかも無意識の記憶は非常に強力でそれを意識的に取り除くのは難しいとされる。特に強いストレスを受けているときは、ストレス下で放出されるホルモンや神経伝達物質が扁桃体の興奮をさらに高めるため、無意識の記憶は形成されやすく、意識的な記憶の処理にも影響を与えるという16)


 「ルドゥー(注:ジョセフ・ルドゥー:『エモーショナル・ブレイン』の著者。情動反応における扁桃体の役割を最初に発見した神経科学者として知られる。)は、扁桃体が無意識の記憶をためるのは、海馬が意識的な記憶を定着させるのと同じ方式ではないかと考える。過去のことを思いだすとき、海馬は意識的な記憶を呼びだしているのに対し、扁桃体を基本としたシステムは身体的な記憶を思いだす、つまり心臓をどきどきさせたり、手のひらに汗をかいたりといった当初の体験を再構築するのである。記憶がある程度の強さで扁桃体に焼きつけられてしまうと、もう自分の意志で抑えることはできない。身体が反応して、感覚が完全にリプレイされながらトラウマを再体験することになる。」17)

 こうしたPTSD(心的外傷後ストレス障害)の状態では、扁桃体に根づいた無意識の記憶が、その原因となった特定の体験とのつながりを持たずに突然押し寄せてくることにもなるのである18)

 皮質の評価が介在しない粗雑な扁桃体の記憶や情動反応が、直面する状況に不適応を起こすことは十分に考えられる。
 私たちがストレスを溜めて皮質の機能を低下させているとき、しばしば感情のコントロールがうまく行かなくなるのは、扁桃体の指令を抑制し切れなくなるからだ。
 恐怖の刺激に継続的に晒されることで、実際の情動的刺激がなくても過敏に反応してしまう恐怖症を発症するのも、扁桃体の記憶が関わっている。

 また、扁桃体は生存に直接かかわる生物的評価をするだけでなく、社会生活に適応するための社会的評価も行っている。社会生活上必要なコミュニケーションや関係性を維持するために、相手の感情状態や意図を知る手がかりとなる顔の表情を情動的刺激として検出しているのである。
 これは「友好的な他者を選んで近づいたり、害をもたらす可能性のある他者から遠ざかったりするための社会的能力の一つであると考えることができる。」19)

 しかし、そうした扁桃体の社会的評価は、潜在的な偏見や差別感情を生みだすことにも繋がる。
 例えば、白人にランダムに白人と黒人の写真を見せたときのfMRIによる研究において、意識レベルでは黒人に好意的な白人においても、黒人の顔写真を見せると扁桃体の活動が高まることが報告されており20)、理屈では差別が悪いことだと分かっていても、潜在意識レベルの否定的な構えまではなかなかコントロールできないことを示している。
 扁桃体のサブリミナル(閾下)知覚や潜在認知が当人の無自覚、無意識のうちに思考や行動に影響を与えているのである。

3)前頭前野の感情生起と制御21)

 前頭前野は思考、言語、意思など知的な高次認知機能のほとんどに関連する領域であり、感情においても重要な役割を担っている。
 中でも、前頭前野と唯一扁桃体と直接的で密接な神経連絡をもっている前頭眼窩野は、特に感情との関連が深い部位である。

 前頭眼窩野が扁桃体と異なるのは、扁桃体が重要な感情刺激を速やかに検出するのに対して、刺激と、それに対する行動、さらにはその行動の結果の良し悪し、の関係を監視し、その評価に基づいて行動を長期的に制御していく機能があることである。

 また、社会的ジレンマと呼ばれる一種のゲーム課題を行っているときのプレーヤーの脳活動をfMRIで計測すると、前頭眼窩野と快感情に関係が深い腹側線条体に強い活動が見られた。
 この結果は、短期的な利益を追求して利己的な行動に走る衝動を抑制して、それが成功した場合に快感情が生まれ、そうした快感情が人間同士の協力関係を維持するように働いていることを示唆する。
 前頭眼窩野は、そのような社会的なこころの営みを担っていると考えられる。

 一方、感情が社会環境に適応的であるためには、本来危険でない刺激に対しても過敏に反応しやすい扁桃体の活動を適切に制御する必要がある。

 一般に脳を構成する神経細胞は、何も刺激が入力されなくても自発的に一定の頻度で活動しているが、扁桃体の神経細胞は、そうした自発的な神経細胞が特に少なく、暴走しないように、常に抑制的な制御をかけられている。
 そのブレーキの機能を担うのが、腹外側前頭前野である。

 不快な感情に関連した単語を呈示すると、健常者では扁桃体の活動が高まるものの、前頭前野の活動により、それは速やかにもとの活動レベルに戻されたが、うつ病患者では、不快な意味をもつ単語に対する扁桃体の活動レベルが高いだけでなく、活動が長く持続することが明らかになった。
 このような感情制御の不調が、うつ病の症状を引き起こしていると考えられる。

 また、感情は前頭前野によって意図的にも制御される。外側前頭前野と前頭眼窩野がその役割を担う。
 外側前頭前野は、行動の目標を維持する部位で、感情的刺激が知覚されれば自動的に感情反応が起動されてしまうのを制御しようとする目標維持に関係していると考えられている。
 そして、前頭眼窩野は行動のその結果の長期的な良し悪しの評価に基づいて意思決定を行う部位であるが、過去の経験などに基づいて効果的な自らの感情を制御する方法を選び出していると考えられる。
 
 意図的な感情制御とは、意志を担う前頭前野の複数の部位によって、感情を起動する扁桃体の活動を調整しようとする営みに他ならない。
 
 従って、私たちの複雑な感情状態は、扁桃体の自動的で鋭敏な情動反応と、前頭前野による制御のメカニズムによって作り出されていると言える。






第2章 感情の適応プログラム

1.感情の進化

 感情は長い進化のプロセスで、人類が生き延びるための環境への適応プログラムとして発達した。
 「感情の本質は感覚ではなく、危険から遠ざかり、利益になるものに近づこうとする生存のメカニズムである。感覚の部分は、そのメカニズムの精神的な側面であり、基本の仕組みが高度になったものに過ぎない」22)のである。

 人類の生物進化の軌跡は、解剖学者ポール・マクリーン(Paul MacLean)の唱えた仮説である脳の三位一体構造に刻まれている。
 それは、生命と本能の中枢である大脳基底核(爬虫類脳)、感情の中枢である大脳辺縁系(哺乳類脳)、理性の中枢である新皮質(新哺乳類脳)の三つの脳が一体となって階層性を持ち、ヒトや他の霊長類、高等哺乳類の大脳に共通している。


(中島義明他編:新・心理学の基礎知識.p.244,有斐閣ブックス,2005年.)
 
 これは、「ヒトの行動といえども基本はR-複合体(注:大脳基底核や淡蒼球、尾状核黒質などが含まれる爬虫類脳)で処理される生命維持活動と、大脳辺縁系で処理される情動活動に支えられているのであり、新皮質が最上部構造であるにもかかわらず理性は感情に、感情は本能に支えられているという構造を持っている」23)ことを意味する。

 脳の三層構造の形成は、感情の進化との相互作用が考えられる。これを、『新・心理学の基礎知識』(中島義明他編:荘厳舜哉,有斐閣ブックス,2005年)と『文化と感情の心理生態学』(荘厳舜哉著,金子書房,1997年)の文献から引用しながらまとめてみることにする。

 まず、爬虫類脳である大脳基底核が、接近―回避や闘争―逃走などの自己保存を目的とする行動や、繁殖機会を求めての求愛や優劣順位などを決定する原始的ではあるが個体間の社会関係を調整する司令塔の役割を獲得する。
 
 次に、哺乳類脳の大脳辺縁系が、血縁間の利他行動と集団内の互恵的利他性を促進する目的で出現する。
 子どもの養育における親子の親密な情動の絆や、コミュニケーション手段としての音声、種や群れの社会生活のルールの学習など、情動に基礎をおいた新しい行動が生じたことは種の社会進化に大きく貢献することになった。刺激を認知的に評価して個体間関係に特別の意味を持たせ、社会的関係を情動で価値づける道が開けたのである。
 
 更に、集団構成員数の増加に伴う、より複雑化した社会的関係を処理するための思考力が必要となり、ついに新哺乳類脳の大脳新皮質へと進化が推し進められていく。
 大型肉食獣のような力を持たなかった霊長類は、集団の団結こそが個体の生き延びる手段であり、その集団をまとめ維持するには、多様な社会的関係の形成と、それに伴う感情の調整や制御が求められるようになった。
 意志の中枢である新皮質、特に前頭葉質に依存を強めた人類は、哺乳類の攻撃を抑止するための生得的制御機構を脆弱化させたかわりに、他のヒト科霊長類にはない特殊な感情――道徳的怒り、感謝、同情、罪感情、懐疑、恥や羞恥心、共感など――を進化させ、多様な社会的関係の調整を補ったと考えられるのである。
 
 そして、これらの感情は人類進化に大きな役割を果たすことになる。
 包括適応度を高める血縁間の助けを起源とする利他的行動は、自分がコストを負担しても縁もゆかりもない他個体を助けるという、社会集団全体にまで適応範囲を広げた互恵的利他行動を作りだすに至るのである。
 この互恵的利他行動の確立には、脳の機能が関係しており、相手からの感謝や仲間の賞賛などの心理的報酬に結びつく時にドーパミンが大量に分泌されるという、報酬系の自己刺激によって強化されたと考えられる。

 こうして人類は、集団の中で互いが助け合う行動を獲得し、向社会的行動を進化させた。
 「ホミニゼーション(ヒト化)と情動、あるいは感情はこうしてつながり、人類が今日のような文化を育む素地を作り上げたのである。」24)

 以上、脳の階層的発達と感情の進化のプロセスを概観したが、野生環境での人類は集団生活を営んで生き抜くために、生物進化の中で備わった基本情動を適応的に制御しつつ、より複雑な感情を形成していったことが分かる。
 
 次に、こうした生存戦略のメカニズムとしての感情が、現代に生きる私たちの思考や行動にどのように影響しているかを見てみる。


2.野生環境と文明環境

 感情の進化は、人類の祖先がジャングルから草原に出たことがきっかけになっているという。
 人類が約200万年前から1万年前まで100人規模の共同集団を営み狩猟採集生活を送るようになる頃には、チンパンジーにはないような感情や行動、例えば感謝、恩や義理、罪悪感、名誉、公平感、嫉妬などの感情が形成されていたとされる25)

 しかし、1万年前の野生環境に適応的だった感情システムを、現代社会にそのまま適合させるのは難しいと考えられる。その辺りの不適合について、『感情』(戸田正直著,東京大学出版会, 1992年)では以下のように解説する。


 感情は、感情の起源となる逃走、脅かし、攻撃といった「状況対処行動」のシステムとして何億年という年月をかけて動物の種の進化と共に進化し、その間に大きなシステム的拡大と複雑化を達成してきたものと仮定して、野生環境の特徴に適合した適応行動選択システムとして高度の野生合理性を持っていたと考える。そして、各人がそれぞれの感情に従って行動していることで人類の種としての生き延びを保証するにほぼ十分であったと推測されるが、それが現代においては感情システムが必ずしも生き延びに有利に働いているとは言えない。それは、野生環境から文明環境へと環境の基本条件をがらりと変えてしまったことに対応して、本来環境の変化に応じて感情システムも当然さらに進化して文明環境の適応行動になるはずが、人類が文明化した農耕開始からわずか1万年という短い時間スケールでは殆どその変化が見られないことによる。人間の環境こそは文明化したが、心の文明化はそれにほとんど伴っておらず、人間の心の基本的特性は私たちの祖先が森林やサバンナをさまよっていた時代と本質的に変わっていないと言え、このことの意味は「きわめて重大」、と指摘している。

 つまり、現代の私たちは1万年前から殆ど進化していない野生環境に適合した感情を身につけたまま、文明環境に生きているということになる。
 それが今日の社会では、ある種の感情が露わになると問題とされ、感情が有害とされる部分であると思われる。

 特に第一章の扁桃体のところで述べたように、怒り、恐怖などの基本情動は、前頭皮質が探知する前に情動的刺激の検出によって自動的に反応をして臨戦態勢を作るという、元来野生環境における脅威的状況で生き延びるために相応しい感情システムである。
 それが、文明社会のそうした脅威を人為的に制御し、緊急状況の頻度を著しく低下させた環境特性に対しては、有利に機能するとは限らない。脅威も緊急性もない対象にまで臨戦態勢を作り出し、意識的な思考を中断させ、非適合的な行動を引き起すなど、目的遂行の妨害因にもなってしまうのである。

 しかし、感情は心の働きのモジュール(要素)として、別々の自然選択の進化的経緯で個々に形成され、一つの心に同居していると考えられるが、いずれもその感情があることによって、繁殖に有利で個体の適応度の高い特性をもつ遺伝子が世代を経るにしたがって増えたとするのが進化論的な考え方である。
 それぞれの感情は、至近要因として心理メカニズムが説明されるだけではなく、究極要因として、なぜそのようなメカニズムが進化の歴史で機能してきたかが説明されることによって、人類がその感情を獲得してきた意味を捉えることができるのである。
 
 では、基本情動の中でも現代社会では「恐怖」と共に非適合的になりやすい「怒り」には、どのような進化論的な意味があるのだろうか。それを同じく、『感情』(前掲書,p12-13)から引用してまとめてみる。

 「怒り」の感情は動物の「縄張り」防衛行動に発する。「縄張り」とは種が遺伝的に共有する行動の「ルール」を意味する。このルールを守り守らせようとするのは人間の感情の働きの中でも特に重要なものの一つである。野生動物の場合、縄張り侵入者に対して然るべき「罰」を与える必要がある。野生動物にとって罰を与える唯一の方法は攻撃を仕掛けることであるが、その場合、「脅かし」の姿勢を見せることで「警告」し、それでも立ち去らない場合に攻撃を加えることになる。人間の場合の怒りは、家とか国という形で集団的に空間的縄張りを作るが、人間が作った実質的な縄張りの大部分はむしろ自分の「権限の範囲」といった見えない縄張りであることが多い。この権限の範囲の社会的ルールを持つことによって無益な紛争を減らす一方、権限的縄張りを侵害するものに対して怒りを起動する。怒りの攻撃準備の身体的変化は警告として十分機能するが、人間は「とがめ型」の言語的警告がなされる場合が多い、という。

 また、『人は感情によって進化した』(石川幹人著,ディスカヴァー携書,2011年)によると、「怒り・威嚇➡意気消沈」という心理的対応が生まれたことで、「権利を守る」という社会制度の確立に向かわせ、互いの権利を認め合うようになっていた狩猟採集時代には、「意気消沈」が「罪悪感」という固有の感情に発展したと考えられるという。そして罪悪感は謝罪するという行為を促し、次に謝罪された者はゆるしを与える「謝罪➡ゆるし」という心理的対応がともなうようになり、結果的に権利の調整が進み、人間集団での協力が飛躍的に拡大したと推測する。つまり、怒りの感情はたしかに戦争の源になっているが、一方で公平さの追求や社会的ルールの順守に貢献していると考えられるのである。

 しかし、『感情』(前掲書)では更に言及し、「怒り」ほど、私たちが頻繁に日常的に経験している感情は稀だろう、という。
 なぜなら怒りの機能がうまく働くためには、動物の縄張りのように、ルールの解釈についての当事者同士の明確な一致が存在することが前提となるが、狩猟採集社会の少数の社会ルールは十分単純明快で解釈の曖昧さも少なかったのが、現代は膨大な社会ルール群が存在してその中での整合性が欠けてくるからである。
 各人が当然のこととして自分の都合のいいようにルールの解釈をし、各人が認知する自己権限の範囲もお互いに重複してしまい、ある人間にとって当然と思われる自己権限行使が別の人間には自分の権限侵害と認知されることが頻発する。権限侵害を認知した方は怒りを催すが、相手にとってもそれが不当な怒りであるから、「罪悪感」を感じるどころか逆に「怒り」を催すことになる。
 そこで、「怒り」に基づく攻撃的加罰機能は社会ルールによって抑制され、可罰機能は現在大幅に損なわれたが、怒りの表出による「警告」機能の方はますますその重要性を加えている、という。
 たとえ直接的な攻撃が禁止されても、あまり頻繁にある相手を「怒らせる」と、その相手は自分に対して「憎しみ」という「待機的態度」を持ち、何とか社会のルールに触れないで自分に可罰する機会を伺う危険がある。
 したがって現代における「怒り」の役割は主として『ここは自分の権限の範囲だ』という、いわゆる臭い付け的「情報」の発信にあり、この発信がまた年中必要なために、現代人が「怒り」を感じる頻度は野生人と較べて多分比較を絶して多いのではないかと想像される、というのである。

 この現代人の「怒り」についての考察はとても興味深い。現代人が抱える慢性的ストレスやフラストレーションの一端を見るようである。
 特に、人間が作った「『権限の範囲』であるところの見えない縄張り」という捉え方は、様々に解釈が可能であると思われる。
 例えば、考え方や価値観が対立する議論でぶつかり合うとき、しばしば「怒り」の際に発動される臨戦態勢の身体反応が自動的に作られるのも、論「敵」に対し、個人の感情や思考の内的世界の領域や自分の影響力の及ぶと考える範囲といった他者からは「見えない縄張り」を侵害してくる脅威とみなしてしまうからであろう。
 これは明らかに情動系の過剰反応とも言えるのだが、既に人間にとっての「危険」や「脅威」は、自尊感情を損なうことや社会的に自己の評価が下がることであり、それは現代人にとっての「恐怖」なので、そうした「見えない縄張り」を防衛し、脅威に晒されないための確認・維持活動が常日頃の仲間同士や、コミュニティーでの情報発信につながっているとも考えられる。
 それがネット上の数多くの主張的自己呈示(好意獲得、自己宣伝、威嚇)26)の背景の一つになっているのかも知れない。

 いずれにせよ、進化論的にみると、「怒り」の感情が社会に公正さを求め、様々な社会システムの構築に向かわせる強い動機づけとなり、向社会的な行動の促進に役立っていることが理解できる。
 むしろ、「怒り」の直接攻撃行動が高コストのために「無行動」が採用された場合の潜在的怒りであるところの「憎しみ」の感情こそ、怒りそのものよりも現代社会の最も厄介なる有害に作用する感情と考えられる。




第3章 感情と認知プロセス

 ここまで神経科学と進化論によるアプローチから感情をみてきたが、意識的に知覚できる部分は主観的な感情経験のみであり、感情の働きの多くは、非意識過程で自動的に処理されていることが分かる。

 認知プロセスについても同じことが言え、かつては理性の働きであるとされた推理、記憶、思考、解釈、判断、意思決定などを処理する認知プロセスは、自動的に感情から影響を受けたり、無意識的に感情を利用したりしているのである。

 例えば、フォーガス(For-gas, 1995, 2001)が提唱した感情と判断の関係を包括的に説明する「感情混入モデル」27)では、処理される課題の難易度や重要度などの条件によって、主体の判断への感情の影響の大きさが異なることを示した。
 それは、感情の影響を受けにくい処理方略(直接アクセス処理・動機充足処理)と、感情の影響を受けやすい処理方略(ヒューリスティック処理・実質的処理)に分類される。


(大平英樹編:感情心理学・入門.p.108,有斐閣アルマ,2010年.)

 直接アクセス処理は、過去の経験や知識、信念をそのまま呼び出して判断に適用し、動機充足処理は、はっきりした目標や動機づけがある場合、それを最優先させるような判断が行われる。この2つの処理方略は感情の影響をほとんど受けない。
 
 これに対し、ヒューリスティック処理は、強固な信念や動機づけがなかったり、正しい決定が不明確であり判断の手がかりがなかったり、熟考して判断を行う余裕がなかったりする場合に、判断対象のごく限られた情報だけに基づいた簡略な処理が行われる。この処理では、情報としての感情仮説が想定するような強い感情の影響が生じると考えられる。
 一方、実質的処理は、同じように信念、動機づけ、明確な判断手がかりがなくても、課題が重要である場合に採用される。この処理では、新たに多くの情報を取り入れ、既存の知識と照合しながらそれらを評価する心的作業が必要となる。こうした場合には、情報の評価、記憶に感情の影響が混入しやすくなる、という。

 中でもヒューリスティック処理は、膨大な量の情報が様々なレベルで行き交う現代社会に適応していくために、私たちが日常的に利用する有効で有用な処理方略と言える。
 なぜなら、普段物事を判断したり、意思決定したりする際に、私たちは様々な可能性を比較考慮できるほどの情報が得られるわけではなく、また、正しく対象を評価するほどの知識を持たないことも多い。そして、厳密な論理で一歩一歩答えに迫るアルゴリズムでは、時間がかかって非効率的すぎるのである

 その点、ヒューリスティクスは、外から内から押し寄せる刺激に対して、無数の策略が驚くほど一つにまとまって、環境からの刺激に即座に応じるためのデータを瞬時につくりあげる。この「第六感」は私たちが生き延びるのには欠かせない28)のである。

 ただし、通常その処理は正確な意思決定に繋がるが、直観はスピードがある分だけ精度に欠け、判断に使えるヒューリスティックが限られているため、誤りやバイアスに繋がる場合もある。

 ヒューリスティックとバイアスについては、エイモス・トヴェルスキー(Amos Tversky)とダニエル・カーネマン(Daniel Kahneman)の共同研究が有名である。
 その研究によるとヒューリスティックは、①典型的と思われるものを判断に利用する「代表性」、②日常的に簡単に利用できる情報で判断してしまう「利用可能性」、③最初に示された特定の数値などに縛られてしまう「固着性」など29)の3つ面があるとする。

 こうしたヒューリスティクスによるバイアスの他にも、正常性バイアスや自己奉仕的バイアスなど幾つかの認知バイアスが報告されている。
 いずれも不確かな状況や問題解決場面において、無意識下で処理される自動的な生存戦略にとって適応的な型にはまった反応図式であるがために、意識的な修正が効きにくく、場合によっては非適合的であり、潜在的な認知に自ずと左右されやすいという側面をもっている。

 潜在認知とは、自分では気がつかないサブリミナル知覚や、知覚内容や行動内容は意識にのぼっていてもその本当の原因が分からない、あるいは原因について誤った考えを持ってしまうという因果関係が見えないケースや、学習が進行していることに気が付かない潜在学習など30)を指す。
 そこに潜在レベルの情動系が、神経連絡を通して影響を及ぼしているが、顕在レベルの認知系や情動系からのフィードバックもあり、それぞれの相互作用による複雑な認知プロセスが展開していると考えられる。

 高度情報化文明社会に生きる私たちは、過剰な刺激と情報に晒され、膨大な量の情報処理に追われる中で、日常の思考や行動を中断せずに支障なく生活を送られるのは、その殆どの情報処理が潜在意識過程でなされているからである。

 しかし、そのプロセスでは、「サンプリングバイアス」という送り手が選んで流す情報を、自分では知覚できないまま取り込んでいたり、受け手の「動機のバイアス」という自分の信じたい情報だけを受け入れる傾向から、その方向の情報だけを記憶したりしており、それが自動的に意識にのぼって無自覚に普段の思考や行動に投影させることにもなる。それだけ潜在的認知は情報操作を受けやすいという弱点があるのだ31)

 しかしながら、判断におけるバイアスを研究してきたカーネマンが語るように、直観と思慮深い考察との相互作用に目を向け、「その相互作用によって、時にはバイアスのかかった判断をすることもあるし、また時にはそれを上書きして修正する場合もある」32)のであって、それを自覚しての意識的な認知プロセスが、潜在過程に働きかけてバイアスを緩和することも可能なはずであろう。




おわりに(結論)

 本稿では、感情は生存戦略のメカニズムであるという観点に立ち、そのメカニズムを神経科学、感情の進化、感情と認知プロセスなどの視点より捉えて、人間の思考と行動の背景とその意味を考察してきた。それは現代の私たちが知覚できる人間の思考と行動の背景と意味を改めて問い直し、理解を深めることに繋がった。

 以下、序論において挙げられたいくつかの問いに答える形で、本論で得た知見をまとめてみる。

 まず、感情が有害で、妨害因と考えられる感情を抑制できず、意識的なコントロールが及ばない現象については、扁桃体の情動反応と、前頭皮質の制御のメカニズム、進化史の視点から説明される。
 それは、野生環境に適応的だった緊急の危険から身を守るための皮質を経ない扁桃体の瞬時の反応が、緊急の危険を制御している文明環境ではさして危険がないにもかかわらず、扁桃体の粗雑な情動的刺激の検出と指令による反応が起きるという情動反応のメカニズムによるものである。その結果、状況との不適合が起きてしまうのである。

 しかし、一方で私たちは扁桃体を制御する前頭皮質を発達させ、緊急時の生体を守る反射的反応を残しつつ、状況との不適合の結果を皮質が直後だけでなく長期的に修正をはかるという目標維持や意思決定を行う感情制御のメカニズムを身につけている。このことの意味は非常に大きいと思われる。
 扁桃体による身体反応を手がかりとして、サブリミナル知覚や無意識に蓄積した記憶や認知の歪み、ストレス状態など、非意識過程における心身の状況を意識上で把握し、前頭皮質の働きかけの長期的な戦略によるコントロールも一定程度可能だということである。

 序論で問題意識として述べた、如何に感情を適切にコントロールするかの答えの一つがここにある。それは、感情の生起するメカニズムを知り、自分の感情状態をモニタリングして客観的に捉えて直し、失敗や誤認について次の機会に備えるプロセスを持つことに他ならない。
 それは前頭皮質を発達させた人間だけができる高次な認知と感情の統合作業でもある。その意味では、扁桃体の反応は、その時点での認知や感情状態を知る有力な情報を与えてくれる心のシグナルとも言える。

 また、ネット上に溢れる過剰な感情表出や自己主張、感情的な議論については、いくつかの視点で説明できるが、一つには第二章の感情の適応プログラムで取り上げたように、「見えない縄張り」を守るための主張的自己呈示(好意獲得、自己宣伝、威嚇)欲求の表れであるとも考えられる。

 進化心理学でみる自己呈示欲求とは、「自分の得意な技能を表明し集団に貢献すること」33)であるが、狩猟採集時代には集団のメンバーの自己呈示欲が強いと集団の協力が促進され、適材適所により競争に強い集団が生まれた結果、その集団メンバーはより生き延びに有利だったと解釈される。
 この自己呈示によって仕事が与えられて集団に貢献することで、集団のメンバーから「承認」されるかどうかは死活問題だったとされる。それが認められないと不安を感じ、何としても認められたいとする欲求を持つのは、現代人の心にも組み込まれている34)と考えられる。

 こうした野生時代に作られた心が現代のネット上での盛んな自己呈示と承認欲求にも表れているとみられ、それはごく自然な感情として理解できるものである。

 しかし、この自己呈示欲求は、更に「自己呈示➡承認➡貢献➡賞賛➡達成感」35)という社会の中で自己実現を求める欲求へと繋がるが、100人程度の集団で協力活動をしていた狩猟採集時代に適応的だった野生の心が、やはり現代社会においてそのまま通用しないことで、様々な社会的な不適合を起こしているとも考えられる。
 
 特に集団が大規模化し、選択的で流動的になった結果、個人の貢献は見えにくくなり、代わって現代のネット社会が自己呈示と承認欲求を満たす場にもなっているが、根底には本来集団や社会における貢献と称賛、達成感を求める感情が隠されているとも解釈できる。
 そうした欲求に応えるべき社会環境の不備が、特に若者の不満やフラストレーションとなって様々な事件を惹起させることにもなる。

 野生環境に戻ることのない現代人にとって、進化的に見れば1万年前の野生の心を持ったまま文明環境にどのように適応していくかという視点は、現代社会と進化的な準備がない現代人の様々な思考と行動を解釈し、理解する上で重要であると思われる。

 更に、もう一つの問題意識であった、どのようにクリティカルな思考力を身につけるか、については、如何に感情をコントロールするかと同様に、思考プロセスについて知る、そして自分の思考プロセスをモニタリングすることが重要であると思われる。

 そもそもクリティカルな思考とは、思考を思考することでもある。第三章の感情と認知プロセスでみたように、私たちの認知や判断において感情の混入は避けられず、むしろヒューリスティクスのように非意識過程において感情を活用することによって、曖昧な状況下でも判断力を失わずに合理的で適応的でいられることが分かっている。
 常に合理的に判断し行動する人間自体が、もともと存在しないのである。

 最も重要な点は、その判断において潜在認知を含めて自分でも気がつかないバイアスが常にかかっていることを認識することである。
 クリティカルな思考力を高めるためには、こうした直観や経験則を利用しつつ、まず自分自身のバイアスについて批判的に点検することである。
 ただし自分のバイアスを気づくのは限界があるので、他者とのコミュニケーションや議論を通じて知ることが大切であると思われる。
 
 しかし、実際の議論となると感情的で、他者の意見を受け入れ難くなりやすい。
 
 
 そこで、行動経済学の誕生を導いたダニエル・カーネマンは、「ほとんど誰一人として間違いを認めようとはせず、また他人から何かを学んだことも認めようとしない」、「誰の考えも変えることのない議論というものが、私は大嫌いだ」とし、「対立的協力」という、議論をより効率的に行うプロセスを提案している。
 批判―回答―応答の形式の議論ではなく、対立する相手と共同研究を行うことによって議論するための誠実な努力が必要になる。不快なコメントをやり取りする代わりに一緒に論文を書くことにした36)、というのである。

 暴力とは無縁なはずの議論において、しばしば問題解決の目的を見失った臨戦態勢の激しい感情的対立を生むことがある。「見えない縄張り」を守るために必死になってしまうのであろう。
 しかし一方では、このような人間の知恵によって、問題解決の目的を第一とする議論を構築することもできるのである。

 それは小さなアイディアの一つかも知れないが、このような人間の課題解決を目指し、答えを得ようと模索する思考と行動を引き出すのは、人間に生得的にプログラミングされた感情の作用に他ならない。
 感情は目的遂行の妨害因になるだけではなく、常に「生物学的生存または社会的生存に関係するさまざまな課題を解決」するよう人間を動機づけ、行動を促すものである。

 感情をどのような方向に導くかが、より良く生きようと希求する人間の叡智にかかっていると言えるだろう。